悲しみに埋れて窒息してみたい 揺れる水面と沈むイメージ


生きるのは惰性、行動するのは衝動。

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仕事関係で面倒なことになっているので逃亡願望が溢れてきている。
こんなときに相談できて、的確な返事をくれる友達がいることに感謝しつつ、自分でこの結論を出せないという事実に危機感を覚える。
大切なのは正義感じゃあない、俯瞰できる能力だ。
自分を守れるのは自分しかいないのだから、自分で何もかもをできるようにならなきゃいけない。思考回路を導き出すHOW TOを見極めなきゃいけない。

こんなときに誰かと会う約束があることを喜ばしく思うときもあるけれど、今は辛いと感じる。だれにもあいたくない。
あたしを知ってる誰か と会うことで、あたしは普通にあたしの役割をこなすであろうことが容易に想像出来過ぎて、自分を傷つけたくなる。
そういうことができるからいつまでたってもあたしはうまく感情を昇華出来ずに、心を殺す術ばかりが上手くなっていくのだとおもう。
感情をうまく発散できない。
生き辛いと感じるのに、円滑に生きることができる矛盾。
大人になる ということがそういうことならば、それはなんて楽しくないことなのだろう。

だからこうやって、第三者の誰かにあたしのことを見守っていて欲しいんだとおもう。第三者はできるだけあたしのことを知らない誰かが都合がいいんだよ、甘えるということが取り立てて下手くそなあたしは、知り合いに甘えるということはもうほとんどできないのだから。

生きるために自分を傷つける。それにはいろいろな方法があって、体に残したり、心を追い詰めたり、物に当たったり。
あたしのそれは、ひとつひとつ手放していくこと。諦めること。


どんどんと価値を失っていく自分を見るのは、とても哀しくて、安心する。

今日は結果として会ってはいけないひとに会ってしまったがためにとても不安定。ずっと哀しくてとても気持ちが悪い。あたしの浮ついた心が、彼女のそれに呼応してしまった。
うつくしい傷だった。

こうやってひとの知らない部分を想像でカバーして勝手に盛り上がるくせ、いい加減やめたいです。